【悪代官と越後屋】本当に悪人だったのか?その関係と語源

悪代官と越後屋/ あくだいかんとえちごや「越後屋、おぬしも悪よのう」「いえいえ、お代官様ほどでは」というお決まりのやり取り

時代劇で使われるセリフで「越後屋、おぬしも悪よのう」「いえいえ、お代官様ほどでは・・」

といったお決まりのやり取り。悪代官と商人が夜な夜な小判を数えながらヒソヒソ話で悪巧みをしているシーンは誰もが記憶にあることでしょう。
この印象が強いおかげで、悪の代官といわれるほどの「悪代官と商人の越後屋=悪人」というイメージを持っている人も多いかと思います。

しかし、実際にはそこまで言われるほどの悪人は多く存在しなかったようです。

その悪代官と越後屋の関係を紐解くと当時の様子から現在の印象になったところまでの道筋が見えてきます。

目次

越後屋は本当に悪人だったのか?

早速本題に入りますが、当時の越後屋は本当に悪人だったのでしょうか?

結論を先に言うと、代官と商人のヒソヒソ話のシーンみたいなことは確かにあったようです。

しかし、それは悪巧みではなく代官が商人に金貸しをした結果その返済に困った商人が接待をしてもてなしたりなんとも困った相談をしている様子。

これに時代劇の悪役、悪代官のイメージが加わって現在の越後屋と悪代官ステレオタイプが出来上がったというわけです。


越後屋は越後国出身者なら誰でも名乗れる屋号だったわけですから、当然いい人ばかりではなかったのでしょう。

でも一般的に越後屋のモデルとされるのは現在の三越のように力をもっていた越後屋なのでしょう。

越後屋は商人です。江戸時代には士農工商(しのうこうしょう)という制度があったともいわれています。

江戸時代には士農工商(しのうこうしょう)という制度があった - 悪代官と越後屋

出典: edojidai.info

士農工商は元々は中国から伝わった言葉で江戸時代よりも前からあったそうですが、実は身分制後ではなかったとされています。
士農工商の順番でいくと武士、農民、工業、商人でとなり、武士の次が農民で一番下が商人でと.. アレ?という感じになりますよね。
豪商というのを聞いたことがありますでしょうか?豪商とは商人の中でも巨万の富を得た大商人のことです。もちろん三越の前身である越後屋も豪商でした。
当時の豪商はその圧倒的な財力で時の権力をも手に入れていました。江戸時代中期以降になると大名ですら借金して豪商に頭が上がらないということにもなっていたといいます。
またテレビの時代劇では話の展開で悪役を作るといった中で悪代官と越後屋というフレーズがぴったり当てはまったというのもあるのでしょう。

「○○屋、お主も悪よのう」
悪代官の代表的なイメージのひとつが、「お主も悪よのう」という台詞である。ステレオタイプな場面設定としては、夜、悪代官の屋敷において悪徳商人(廻船問屋、両替商など)との謀議の際に、悪徳商人から袖の下(山吹色の菓子を詰めた菓子箱など)を渡された状況が挙げられる。悪代官といわれてこの台詞を連想する人も少なくないが、実際はドラマではあまり使用されていない。時代劇の悪代官役で知られる俳優の川合伸旺によると、これは田口計と共演したCM撮影時にアドリブとして生まれ、それが採用された結果視聴者にインパクトを与え、定着したとのことである。なお、この台詞につづく悪徳商人の台詞は、「いえいえ、お代官様ほどでは…」が代表的である。

その他の悪代官のイメージ
主人公(庶民に成りすました身分の高い誰か)が相手にその正体を明かし、潔く責任を取るよう命じた時の反応は作品によって異なるが、大抵は以下のどちらかに分れる。
「お、恐れ入りました……」
「実(まこと)の××様がこのような場所に来られるはずがない。××様の名を騙る狼藉者だ。出合え、出合えっ!」

出典: ja.wikipedia.org

越後屋 / えちごや

現代の東京は地方出身者が大半といわれていますが、実は江戸時代の江戸は地方からの出稼ぎの人で溢れかえってました。

1721年の江戸の人口は100万人を超えています。

実は越後屋は当時の屋号で主に出稼ぎ者が出身国名を屋号として名乗っていました。越後は現在の新潟県です。当時に商標登録はないので越後屋は誰もが名乗れる屋号でもあったのです。

それ以外に備前屋、三河屋、伊勢屋、駿河屋などがあります。三河屋はサザエさんでも登場しますし現代でも駿河屋というゲームショップがありますねw
そして越後屋は誰もが知る百貨店、三越の前身でもあります。三越の三は三井、越はもちろん越後屋の越が由来です。

1637年に越後屋として開業されました。江戸時代になったのが1603年ですから江戸時代初期に開業されたことになります。

越後国 / えちごのくに

そして現在でも当時の名残りなのか都内に残る古い銭湯屋を経営しているのは越後出身者が多いと聞いたことがあります。また、現代でも新潟県は経営者が多いとも聞いたこともあります。
なぜ新潟県?と思う人もいることでしょう。
なぜ新潟県は当時発展していたのか?それは海に面している街だから発展しているというのもあるのでしょう。実は江戸時代の越後は人口が多かったのです。驚くことに明治の20年~25年までは越後が日本1位だったようです。
今では都市といえば東京、大阪、福岡、札幌..と新潟県の名前は出てこないかもしれませんが、当時は大都市だったのです。人口が多いとい

うことはそれだけ江戸に出稼ぎに出る人も多くなります。

まとめ

悪代官というほどの代官はそれほどいなかったのではともいわれています。しかし年貢を不正にごまかすなどして私腹を肥やす代官もいたそうです。

豪商もかなりの権力をもっていたのでイメージ通りの悪代官と越後屋といった関係が本当に実在していてもおかしくなかったのかもしれませんね。

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この記事を書いた人

ジョン齊藤のアバター ジョン齊藤 ブログ運営者 / 執筆者

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